俳優の間瀬翔太さんが、2019年12月13日放送の「爆報!THE フライデー」に紹介されます。
「顔を失ったイケメン俳優」という衝撃なタイトルですが、難病を抱えているようです。
どんな難病なんでしょう。
また、間瀬さんはデビュー当時は4オクターブの歌声がでると言われていました。
どんな歌声なのが動画で見てみましょう。
間瀬翔太の抱えている病気【難病】とは?パニック障害も発症!
10万人に1人の【脳動静脈奇形】
間瀬翔太さんの簡単プロフィールです。

- 北海道出身の33歳
- 17歳の時にストリートダンス中、代々木公園でスカウトされる。
- アイドルグループ「BLIZZARD(ブリザド)」のメインボーカルとしてデビュー
- 解散後は俳優として「龍が如く6」「愛なき森で叫べ」「妖ばなし」等に出演
- 2018年には新曲「Butterfly Effect」がドラマ「家政婦は見た!」で起用
- 2019年7月に難病を発症
間瀬さんは、デビュー当時は歌手(アイドル)で、現在は主に俳優のお仕事をされています。
2019年7月に発症した難病とは?
間瀬さんの抱えている難病とは、10万人に1人と言われている「脳動静脈奇形」という難病です。
間瀬さん本人のブログで説明されてました。
俳優の間瀬翔太といいます。僕は今年7月、仕事中に脳出血を起こし病院へ行きました。
そこで【脳動静脈奇形】と診断され、その日に入院し2週間後に手術でした。
脳動静脈奇形とは先天性の病気で、脳の動脈と静脈が生まれつき合体していたりする10万人に1人の難病です。動脈と静脈は細さや血液の流れる量も違うので、それが合体していると脳出血率が高くなります。
つまり脳動静脈奇形は、くも膜下出血などの原因にもなるんです。
間瀬さんは、2019年7月のレコーディング中に、今までにない頭痛に襲われました。
CT撮影をすると、なんと脳出血をしていたという事で即入院になりました。
この脳出血の原因であるのが「脳動静脈奇形」の難病だったのです。
しかも、芸能人では初めて発症したのは間瀬さんなのです。
更に説明が続きます。
この難病は、タバコを吸っているからとか、酒を飲み過ぎたからとか、食生活が悪いからとかで掛かる病ではありません。
あくまで先天性。つまり「生まれつき」なんです。
この難病は生まれつきのものなんですね。
またこの難病は、現在の日本では小児だけ難病指定されているそうです。
しかし、成人の難病指定はまだなので、間瀬さんが代表になって難病指定をお願いしたいという事で、SNSで発信してました。
同じ病の方は勿論、応援してくれる方が増えたら嬉しいです!この病が原因で、話せなくなった人、手足が動かなくなった人、記憶を失った人、亡くなった人、沢山います。
僕はその中でまだ動ける立場です。
だから代表になって難病指定をお願いしたいんです!!どうか助けて下さい。宜しくお願いします。
金銭などのサポートでは無く、署名だけで本当に有難いです!!皆様のチカラをお貸し下さい!!
手術後の間瀬さんがテレビで放送されてます。
TBS【爆報!THE フライデー】
「あの人は今?どん底からの再出発SP」に出演します!
12月13日、19時より放送!
脳動静脈奇形を日本中に知って貰えます様に。#脳動静脈奇形 #難病指定 #AVM pic.twitter.com/BXox8OrhQp— 間瀬 翔太 (@shota_mase) December 6, 2019
手術後は顔が腫れていました。

現在は退院をされて、少しずつリハビリを行っているようですが、手術前は71.8キロだった体重が58.1キロまで落ちたそうです。
以前の間瀬さんです。
現在の間瀬さんと比べると痩せました。

更に、入院中からパニック障害も発症しているようです。
なんでこんな時にパニック障害が。
負けないぞ。畜生。泣けてくる。— 間瀬 翔太 (@shota_mase) October 21, 2019
電車に乗った時に発作が起きたようです。
色々と身体の不自由さがあったようですが、今は街を歩いたりすることに幸せを感じているそうです。
そして間瀬さんは成人でも脳動静脈奇形が難病に指定されるように、署名活動をしています。
遂に脳動静脈奇形を難病指定してもらうための署名が2万人を超えた。
いま脳動静脈奇形で苦しんでる仲間達、これから産まれてくる脳動静脈奇形患者、全員の未来を必ず良い方向に向かわすから、信じてくれ!!#脳動静脈奇形 #難病指定 pic.twitter.com/xY7UtAJzCw— 間瀬 翔太 (@shota_mase) November 24, 2019
【動画】間瀬翔太は4オクターブの持ち主!
ドラマ「家政婦は見た!」のエンディングテーマ
気になる間瀬さんの4オクターブの美声ですが、こちらです。
素晴らしく高音です。
4オクターブは「デビュー当時」とプロフィールにありましたが、この時でも十分に音域が広いですね。