日本を代表するロックボーカリストの矢沢永吉さん。
現在(2019年9月現在)70歳を迎えた、現役のミュージシャンです。
70歳といえば、すっかりおじいちゃんの感覚ですが、矢沢さんは現役のかっこよさが滲み出てます。
そんな矢沢さんは近寄りがたいイメージもありますが、実は幼少期に貧困による壮絶な過去があります。
また、12歳の頃には新聞配達をして、家族を支えていたそうです。
そんな矢沢さんの辛かった過去をみてみましょう。
矢沢永吉の幼少期のいじめが壮絶!
矢沢永吉さんは、1949年9月14日生まれの70歳
広島県出身で身長が180cmもある、スレンダーなロックボーカリストです。
周りからは近寄りがたい・怖いなどのイメージですが、現在ではすっかりいい人で優しいという声があります。
そんな矢沢さんの生まれた環境がすでに極貧状態だったそうで、矢沢さんが3歳の頃に家を出ていってしまったそうです。
3歳の頃にいなくなってしまったということは、殆ど、母親の記憶がないかもしれませんね。
そして父親はというと、広島県の原爆の影響で、被爆をされた後遺症で矢沢さんが小学校2年生の時に、亡くなってしまったそうです。
両親を失った矢沢さんは辛かったことでしょう。
その後、親戚の方にお世話になったり、父方の祖母に高校卒業までお世話になっていました。
貧困な少年時代を過ごしていた矢沢さんは、近所の裕福な子に「お前の家は貧乏でケーキなんか買えないだろう」とケーキの一部を投げられたという、ひどいいじめを受けてました。
そんな矢沢さんの家庭は生活保護を受けていたため、給食を裏口からまわって、牛乳とパンをもらったり、教科書をただで貰ったりとしていました。
少年時代の、貧困と様々ないじめを受けていた、そんな自分が屈辱的に思え、これじゃ絶対BIGになってやると思い始めたのは、小学校6年生くらいのことでした。
また、中学生の時にラジオから流れていた、ザ・ビートルズを聴いて、音楽に目覚めました。
矢沢さんが高校卒業後には、ギターと5万円をもって夜行列車に揺られ、横浜に飛び降りまいた。
東京を目指していたようですが、広島から座りっぱなしで、お尻が痛くて限界に達し、飛び降りたのが、たまたま停車した横浜駅だったそうです。
そこから、矢沢さんのミュージシャンへの道が開かれていきましたが、横浜駅で降りたのはなんだか運命的な気もしますね。
新聞配達をして家族を支えていた!
先日、矢沢さんが初めて、タモリさんが司会の「ミュージックステーション」では12歳の頃から新聞配達をして家族を助けていたと話していました。
屈辱的な思いをしていて、BIGになると決めていた12歳の頃の話ですね。
12歳で新聞配達!?とタモリさんもビックリしてましたが、そんな幼少期からの経験が、現在の矢沢さんのロック魂の原点になっている事でしょう。
まとめ
壮絶ないじめを経験していた矢沢さん。
ロックでBIGになり、当時はハッタリをかましていたようですが、今ではすっかり周りにはいい人という印象になっています。
これからも、かっこいい矢沢さんでいて下さい。