おなべとおかまとの逆転夫婦とも言われている『マキ&ジョン』さん。
『マキさんの老後』シリーズも人気です。
そんな2人の若い頃と馴初めを見ていきましょう。
【画像】マキさんとジョンさんの若い頃と経歴に驚き!
様々な経歴を持っている2人!
おかまでもあるマキさんは夫。(左)
おなべのジョンさんは妻(右)として、現在一緒に暮らしています。


少し若いころの写真です。⇓
マキさんお綺麗です。
マキさんのプロフィールを見てみましょう。

- 本名 宮本昌樹
- 学歴 早稲田大学教育学部卒業
- 経歴 前橋で「レストランクラブ・貴婦人」を6年経営。その後、雇われママ、進学塾の講師、OLなどさまざまな職を経験
ジョンさんのプロフィールです。

- 本名 宮本佳枝
- 学歴 伊勢崎市立女子高校卒業
- 経歴 高輪プリンスホテル(宴会場係)・六本木のレズビアンクラブで修行・独学で料理を学び、「パブハウス・ジョン」を8年間経営・伊香保温泉の老舗旅館、イタリアンレストランなどでの勤務を経て、現在は介護福祉士の国家資格を取得し、介護の仕事に従事。
そんな2人の若い頃の画像です。
こちらはマキさんの若い頃。
やはり見た目は男性で凛々しいです。


これは、早稲田大学在学中の時です。
マキさんは、大学在学中から六本木にある、ゲイクラブ「プティ・シャトー」で活躍をしていたというのです。
現役早大生ゲイボーイとして活躍していた為、マスコミにも注目されていました。
毎年の早稲田祭では学生ゲイバーのママを務めたりと、学生時代は、登下校・授業・コンパ・ゼミ合宿・卒業アルバム・卒業式・謝恩会・等など全て女装にて出席をしてたというのです。
大学在学中の後半から、学生と六本木でのゲイボーイと忙しい日々を過ごしていた為か、早稲田大学の卒業までに7年間かかってしまったそうです。
そして、卒業と同時にプティ・シャトーを3年で退店し、フリーで全国行脚を開始しました。
こちらはジョンさんの若い頃。
後列の一番右側です。



ジョンさんは、六本木のレズビアンクラブで修行後に、故郷の上州・前橋へ帰郷しています。
その後、再び経営者として「パブハウス・ジョン」8年間経営しました。
地元では、ボーイッシュでお料理の上手なママとして有名でした。
ジョンさんは、おとぼけたキャラクターや、面倒見の良さなどでも人気があったそうです。
マキさんとジョンさんの2人の馴初めは?
二人の出会いは前橋のゲイバー!
そんな2人の出会いはというと、前橋のゲイバーです。
当時の出会いをジョンさんはこのように語っています。
私はスナックを経営していたのですが、常連だったゲイバーのママから、「六本木直輸入のすごい子が入ったから、お店に来て」と電話がかかってきました。
お店に見に行ったら、歌も踊りも洗練されたショーを見せられて、カルチャーショックを受けました。それがマキちゃんだった。それから通いつめるようになり、アフターにも誘って、毎日朝まで語り合って、すっかり意気投合しました。異性愛者同士ならここで愛が芽生えるのでしょうけど、私たちの間にあるのは、精神的な絆ですね。
マキさんは、周りからみると、『六本木直輸入のすごい子』だったんです。
六本木で活躍されてましたからね。
当時の2人の出会いは、愛情になるのではなく、精神的な絆でありました。
当時のマキさんの様子はというと。。。
私はその頃、六本木の「プティ・シャトー」の先輩に誘われて、前橋のお店にゲストに来ていたの。前橋と東京を行き来しているうちに、ジョンが「彼を紹介するから引っ越してきちゃえば」と言うので、前橋に引っ越してきました。最初は、“スープの冷めない距離”の同じマンションの隣同士に住んでいたわね。
2人とも友情関係のような仲が深まっていったのですね。
そして、1991年結婚【友情婚】戸籍は男女での婚姻届けを出しました。
お互いに老後の不安解消や、楽しく暮らす為にこのような結婚を考えたそうです。
マキさんのオフィシャルサイトにはこのような自論が。
戸籍上は男と女だから正式に結婚して本物の夫婦になれる・老後の孤独と不安から解消される・死後も一緒のお墓に入れる・故郷の血族たちに許されて再交流出来る、おかまとおなべとの・さかさま・あべこべ・逆転・友情結婚(勿論ノン・セックスのままでの。)であった訳です。
結婚の形は様々ですね。
まとめ
現在、マキさんは求職中で、ジョンさんは介護福祉士のお仕事をされているようですが、2人共、様々な経歴をお持ちでしたね。
また、2人の出会いは前橋のゲイバーで、お互いに、精神的な絆での関係になっていきました。
2人とも、高齢になりつつありますが今後も、仲良く暮らしていって欲しいですね。