俳優

大原麗子の死期が衝撃で可哀想!孤独死に至った真相がこれだった!!

かつて大人気女優だった、大原麗子さん。

大原麗子さんの最期は孤独死だったと当時、ニュースになってました。

この孤独死までの経緯の真相が2019年6月20日に直撃!シンソウ坂上で放送されました。

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大原麗子・孤独死に至った経緯が実弟さんの証言で明らかに!

実は、2度の結婚と離婚を経験していた大原麗子さん。

1回目は渡瀬哲也さんと、2回目は森進一さんと結婚をされてました。

その森進一さんとの間に実は、1度妊娠をされてました。

しかし、その時にドラマの撮影が入っていたので、実は中絶をされていました。

このままお腹が大きくなってしまうと、撮り直しになってしまうと・・・。

この真相には、30年来の親友の浅岡ルリ子さんも知らなかったそうです!

その真相を知っていたのは、大原麗子さんの実の弟さんでした。

この中絶をきっかけに、大原さんは仕事1本で生きていこうと決意をしていたのでしょう。

その後、森進一さんとは離婚されました。

大原麗子を襲った病とは?そして更に度重なる出来事が!!

しばらくすると大原さんは、ギラン・バレー症候群という病に罹ってしまいました。

ギラン・バレーとは、免疫システムに不具合が生じ、両手足のマヒ・しびれ・呼吸困難などの症状があります。

当時は1年間の療養をし、女優業に復帰しました。

その時の復帰テレビが、NHKの「春日局」で復帰。32%以上の視聴率をとりました!

しかし、50歳を過ぎると段々と脇役の依頼が入ってくるようになり、自分なりの女優としてのプライドがあり、台本に修正を大量に入れてしまったりと、だんだんと扱いにくい女優というレッテルを張られてしまいました。

仕事が無くなってきた頃、53歳で、なんと闇整形に手を出してしまったそうです。

充分にお綺麗ですが、きっと完璧主義者なのでしょう!

もともと左目が一重で、二重目の整形をしたところ、細菌が入ったのか、目が腫れてしまい仕事が無くなり、4年間収入ゼロの状態に。

そして、マネージャーなどの身の周りのお世話の人とも離れていきました。

今思うと、渡瀬恒彦さんが当時、大原さんに仕事がないだろうと、声を掛けたドラマ出演が遺作となりました。

様々出来事があり、そんなこんなでストレスが引き金になってしまったのでしょうか?

ギラン・バレー症候群の再発が!!

そしてちょうど、母親の介護が重なり、躁鬱病になり、薬つけの毎日に。

心と身体がむしばわれ、とうとう引きこもりに。

そして精神的に追い詰められたのか、深夜にでも知人や仕事関係の人に悪辣な電話をかけまくっていたそうです。

完全に引きこもり&孤独になってしましましたね。

当時の事を親友の浅岡ルリ子さんは「麗子どうしちゃったのかしら?」と思う程、大原さんは変貌していたんですね。

浅岡さんも、大原さんから不平不満の長電話がしょっちゅうかかってきたりと、距離をおいていたそうです。

亡くなる9ヶ月前の大原さんの自宅に取材にいった映像では、精神的に不安定な状態で、玄関先でのインタビューでは、支離滅裂な事をはなしていました。

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大原麗子さん自宅で孤独死!

そしてある大原さんが62歳の時、自宅内で大原さんが倒れているところを、連絡が取れない事に不安を持った、実弟さんが見に行ったら、普段空いてないドアが開いていたそうで、そこには、脳内出血で3日程経っていた大原麗子さんのご遺体があったそうです。

この孤独死に至るまでの真相が今回の放送で明らかになりました。

中絶・離婚・病・介護・うつ病と、身体も心もボロボロだったことでしょう。

しかしながら、当時の本当にお綺麗で可愛らしい印象は脳裏に残っています。

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